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和歌山・雄ノ山峠で歴史ウオークイベント 道路工事で見納めになる景観

熊野詣の道として利用された南海道にある山口王子跡の万葉歌碑

熊野詣の道として利用された南海道にある山口王子跡の万葉歌碑

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 和歌山県道・大阪府道64号和歌山貝塚線に位置する雄ノ山峠で7月4日、「歴史街道ウォーク 山中渓から雄山峠(おのやま)越えで紀州入り」が開催される。主催は紀の川流域文化遺産活用地域活性化協議会。

大阪府から和歌山に入る県境付近の様子

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 文化庁「文化遺産を活(い)かした地域活性化事業」に採択された事業の一環。参加者は、JR山中渓(やまなかだに)駅(大阪府阪南市)からJR布施屋(ほしや)駅(和歌山市布施屋)までの約12キロを歩く。

 同協議会は2013年から同地域の文化や歴史をテーマにした講演会、ワークショップの開催、パンフレットの作成、展示会を行う。ウオーキングイベントは5回目。

 JR山中渓駅から岩出市を通り和歌山市に入るこの道は、京都との伝達用に使用されたほか、熊野詣の参詣道でもあった。コースには関所跡や豪族が作った寺の跡、王子と呼ばれる参詣者の守護を祈願する神社群の跡、万葉歌を記した石碑や神社など、当時の都から熊野への参詣道だったことを示す遺跡が見つかっている。800年頃には桓武天皇が通ったという記録も残されており、高野山開創とほぼ同じ1200年近い歴史があるとされる。

 当日はガイド役として、山伏や修験道に詳しい真言宗犬鳴派宝照院住職の膾谷健一さん、街道や参詣道を研究する関西大学非常勤講師の長谷正紀さん、日本考古学会会員の藤井保夫、近畿大学名誉教授で万葉集に詳しい村瀬憲夫さん、 万葉植物研究家の山元晃さんらが同行・解説する。

 長谷さんは「かつて、都から淡路、高知へと向かう道を南海道と呼んだ。奈良に都があったころは、紀の川に添って西に向かう道が南海道と呼ばれたが、平安時代に都が京都に移ると、雄ノ山峠を越える道がこう呼ばれるようになった」と話す。「以前は峠を越えたあたりから和歌山市が一望できたが、京奈和自動車道の橋桁で見えなくなった。工事が進めば景観が変わるので、見納めになるだろう。歴史ロマンが詰まった道を歩いて、1200年前に思いをはせてほしい」と呼び掛ける。

 8時50分~16時。先着50人。保険、資料代300円。要事前申込、6月30日まで。

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