和歌山・紀の川市の粉河産土(こかわうぶすな)神社(紀の川市粉河)とその周辺で7月31日、祭礼「粉河祭」が開催された。主催は粉河祭保存会。
同祭りは、和歌祭、田辺祭と並ぶ紀州三大祭の一つ。粉河寺の鎮守(ちんじゅ)である粉河産土神社の祭神・丹生津比賣命(にゅうつひめのみこと)と天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)を祭る例祭として始まった。祭日は7月28日(旧暦の6月18日)だったが、粉河町民の祭りとして組み入れられた昭和50年代からは7月の最終日曜に行われている。
祭りの中心行事の渡御式は、粉河寺を創始した大伴孔子古(おおとものくじこ)の子・船主が坂上田村麻呂将軍の奥州征伐に出陣し、賊徒を退治して凱旋(がいせん)した姿を伝えるものと言われている。渡御式は現在、隔年で開催している。
前日の宵祭では、湯立て神事やだんじりはやしの奉納が行われ、ちょうちんで飾り付けられただんじりが市内を練り歩いた。本祭は、午前10時の神社での式典に始まり、14時には各地域のはやしに合わせ「ひげこ」と呼ばれる竹で飾り付けられただんじりの出番に。引き手が一斉に走ってだんじりが疾走すると、見物人からは歓声が上がった。
粉河中学校吹奏楽部による演奏に続いて、渡御式がスタート。みこし、大矛、大うちわ、甲冑武者、稚児、獅子舞、道案内の神である猿田彦神(さるたひこのかみ)、みこ、神主など、総勢400人近い人々が列をなした。行列の最後には各町のだんじりが続き、本部前の交差点に差し掛かるとだんじりから餅まきが行われた。
保存会代表の箕輪光芳さんは「渡御式は講や座と呼ばれる人々だけが参列できる特別な式だった。だんじりを導入して町民が誰でも参加できる祭になったようだ。近年は後継者問題もあって担い手が減少している。隔年開催にして、粉河高校の生徒や一般の人にも参加してもらうことで継続している。これからも伝統ある祭を守っていきたい」と話す。
渡御式を見ていた観客からは「ウマに乗った甲冑武者や稚児がりりしくてかっこいい」「だんじりは迫力があってすごい」といった歓声が上がった。